手足の修理依頼

時々 修理の依頼をいただきます。
代々引き継がれ可愛がられ、お祖母さんやお母さん、会ったこともない祖先が大事にしていたお人形が蔵から出てきたので、等々と思いは様々です。

・・・「長い間ご苦労様」 という思いと共に、遠い昔の人形職人先輩の作られた仕事を見る事が出来るのは後輩として勉強になります。

すっかり綺麗にしてしまっては歴史的な価値やその先輩の仕事に蓋をしてしまうことになりますから、依頼の方としっかり相談の上、極力最小限度の修理や修復に心掛けたいものです。

今 取り掛かっている修理が二体。 いずれも明治生まれの抱き人形で、可愛らしい幼子の人形です。

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↑ これは18号の大きな抱き人形の手。 右手を紛失していまい、似た形状で作ります。
写真の右手は桐塑の段階。これから胡粉を塗ってゆくのでその分少し小さく見えます。

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↑ これは10号の抱き人形。 吹き漆の立派な箱には「明治七戌年」の箱書きがあります。
手足の修理です。
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足先の欠けを桐塑で整え胡粉を塗ります。
手は重症で、保存か当時の正麩糊の具合が悪かったのか?触るとポロポロと粉になってしまします。
注射機で瞬間接着剤を注入したり、木工ボンドで固めたりしましたがどうにも風化が止まりません。
依頼者に相談し手先を新たに作りました。
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男の子の証も明確です。
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京都製を表す立派な印の入った 胴紙です。

*その昔 抱き人形やその後の市松人形は、 生まれたお子さんの身代わりとして買われていた時代がありました。 そして、手遊びされてその子の遊び相手だったり、衣装を縫い着せ替え遊びの対象だったりと結構ハードな扱われ方をします。・・・それも抱き人形の役割ですが、丁寧に治しながら代々と引き継がれてゆく人形達は幸せですね。

by meiko-doll | 2009-04-22 07:06 | 修理・修復

市松人形の立ち台

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市松人形の立ち台も様々ですね。

昭和初期の物には 円形の二重型だったり、畳敷きのものや金属製の5角形だったりと豪華な物まで目にします。
時々古い市松さんの着せ替えの依頼を頂きますが 長い年月のうちに 前のめりに立っていたり、ずるずると下にさかってしまっていたりと ”シャン”と 立たなくなっている市松さんも多く見かけます。

基本的には台座から縦に棒が立っていて それに裸の市松さんを紐などでくくり、衣裳を着付けています。まれに大きな人形になると金属棒にフックが出ていて帯に挟み込むような豪華な作りもあります。
でもたいていはご覧の写真のように縦の棒がスーとたっている物が多いように思います。

写真をよく見て頂くと・・縦棒の中央あたりに”菜ばしの切れ端”のような出っ張りが見えませんか。・・・・・実はこれが大切で、この出っ張りに市松さんが跨ることで 前のめりになったり、ずれ下がったりしなくなります。

しっかり立たないと悩んでいる方は、股下を計って位置を決め、菜ばしや・竹の割り箸などを利用してこれを取り付けてみてはいかがでしょうか。  
ただ、取り付ける丸棒の太さの穴を開けなければなりませんので、ドリルと径の合ったスクリュウが必要になります。 怪我に気を付けてください。

又、古い台ですと縦棒の木が痩せて ぐらぐらしている場合が多いので、一旦はずして木工ボンドでしっかり垂直にはめ込み直すことをお勧めします。
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座り台

by meiko-doll | 2008-06-27 22:57 | 修理・修復

市松人形師 【江田光洋】 エダ コウヨウ

今年3月銀座松屋での個展で、15号市松人形の修理と衣裳着せ替えの依頼を受けた折り、お客様と共に古い衣裳を脱がしたところ 【光洋作】と記された胴紙が目に飛び込んできました。
そして 「どの様な人形師か?」とのご質問から 調べが始まりました・・・・・。
仕事の合間をみて、先輩や人形研究の学芸員さんにリサーチしたところ紐解けました。
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これから衣裳の着替えと 手の傷や髪を整えます。
【光洋作】の胴紙・・・昔も現在も、裸にするとこの胴紙に作者の名前が記されています。
戦前・戦後少しまでは、一部有名人形問屋さんや小売人形店の名前を記した胴紙に差し替える場合も有りました。













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解いた帯の芯に当時の新聞が使われていて、製作時期がほぼ特定できます。
(朝日新聞 昭和17年11月2日)
昭和16年12月8日。日本は米・英に宣戦布告しました




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優しい表情のお顔ですね。

熟練した技術と腕の良さが見て取れます。



















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明治後期ごろの時代縮緬を使い衣裳の着せ替えを済ませました。

表情が変わってはいけないのでお顔には手を加えませんでしたが、治療した手を取り付け髪をとかし、衣裳を着せ替えましたら、 生き生きとした表情になった気がしました














さて、この子の産みの親「光洋さん」のリサーチ結果です。
大先輩の市松人形師 林 陽辰さん(92歳)より話をうかがえました・・・・・。
* 江田 光洋 (エダ コウヨウ)
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* 生まれ:大正一桁 生まれ
* 居住地:(現在の)東京墨田区吾妻橋3丁目あたり
* 師匠 :菅 義悦(本名・悦三)
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<<林陽辰さんのお話では>>

・ 光洋氏はあんたの家の近所に居たんだよ。

・ あんたのお父さん(初代・藤村紫雲)と年代も近く仲良しで 私より少しお兄さんだった。

・ 独立前に師匠の 菅 義悦さんが病死し その後 独立した。

・ あんたのお父さん達と共に5・6人で芸術的な勉強もしようと先生を招いて聞き取り勉強やデッサンの勉強もしていて、私も(林さん)時々誘ってもらった。

・ 私の出征の時にはそのグループの皆が 日の丸に寄せ書きをしてくれた。

・ 終戦して私が戦地から帰還してから知ったが、私の後に召集され、南方で戦死したことを知った。

・ 腕のいい人形師だった。・・・とても残念だね。
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以上のような話が聞けました。
我が下町には多くの様々な手仕事職人が今尚 暮らしています。当時、戦況が厳しくなるにつれ贅沢品の製造禁止や材料調達が困難になり作りたくても作れない状況となり、そして たくさんの人々が戦争の犠牲となりました。
多くの職人先輩諸氏もその中にあったのだと思います。
幸い、大正元年生まれの我が父 初代紫雲は無事戦地より帰還し私があるわけですが、平和こそ文化を育むのだとつくづく思います。

by meiko-doll | 2008-06-18 22:22 | 修理・修復