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市松人形師 【江田光洋】 エダ コウヨウ

今年3月銀座松屋での個展で、15号市松人形の修理と衣裳着せ替えの依頼を受けた折り、お客様と共に古い衣裳を脱がしたところ 【光洋作】と記された胴紙が目に飛び込んできました。
そして 「どの様な人形師か?」とのご質問から 調べが始まりました・・・・・。
仕事の合間をみて、先輩や人形研究の学芸員さんにリサーチしたところ紐解けました。
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これから衣裳の着替えと 手の傷や髪を整えます。
【光洋作】の胴紙・・・昔も現在も、裸にするとこの胴紙に作者の名前が記されています。
戦前・戦後少しまでは、一部有名人形問屋さんや小売人形店の名前を記した胴紙に差し替える場合も有りました。













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解いた帯の芯に当時の新聞が使われていて、製作時期がほぼ特定できます。
(朝日新聞 昭和17年11月2日)
昭和16年12月8日。日本は米・英に宣戦布告しました




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優しい表情のお顔ですね。

熟練した技術と腕の良さが見て取れます。



















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明治後期ごろの時代縮緬を使い衣裳の着せ替えを済ませました。

表情が変わってはいけないのでお顔には手を加えませんでしたが、治療した手を取り付け髪をとかし、衣裳を着せ替えましたら、 生き生きとした表情になった気がしました














さて、この子の産みの親「光洋さん」のリサーチ結果です。
大先輩の市松人形師 林 陽辰さん(92歳)より話をうかがえました・・・・・。
* 江田 光洋 (エダ コウヨウ)
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* 生まれ:大正一桁 生まれ
* 居住地:(現在の)東京墨田区吾妻橋3丁目あたり
* 師匠 :菅 義悦(本名・悦三)
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<<林陽辰さんのお話では>>

・ 光洋氏はあんたの家の近所に居たんだよ。

・ あんたのお父さん(初代・藤村紫雲)と年代も近く仲良しで 私より少しお兄さんだった。

・ 独立前に師匠の 菅 義悦さんが病死し その後 独立した。

・ あんたのお父さん達と共に5・6人で芸術的な勉強もしようと先生を招いて聞き取り勉強やデッサンの勉強もしていて、私も(林さん)時々誘ってもらった。

・ 私の出征の時にはそのグループの皆が 日の丸に寄せ書きをしてくれた。

・ 終戦して私が戦地から帰還してから知ったが、私の後に召集され、南方で戦死したことを知った。

・ 腕のいい人形師だった。・・・とても残念だね。
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以上のような話が聞けました。
我が下町には多くの様々な手仕事職人が今尚 暮らしています。当時、戦況が厳しくなるにつれ贅沢品の製造禁止や材料調達が困難になり作りたくても作れない状況となり、そして たくさんの人々が戦争の犠牲となりました。
多くの職人先輩諸氏もその中にあったのだと思います。
幸い、大正元年生まれの我が父 初代紫雲は無事戦地より帰還し私があるわけですが、平和こそ文化を育むのだとつくづく思います。

by meiko-doll | 2008-06-18 22:22 | 修理・修復